江戸料理! 豆腐の味噌漬け

僕は、江戸時代について興味があって、
江戸文化歴史検定なんてのも受けたりしているんですが、
中でも、興味深いのが江戸時代の食事です。

江戸時代の人はどんな物を食べていたんでしょう?

現代ほどの食材があるわけでもなく、調理器具や調味料だって数は多くないはずですよね。
「 きっと、たいした物は食べていなかったんだろうな。 」 なんて思っていたのですが、

意外や意外、勉強をしていくうちに、江戸時代の料理法やセンスに驚かされます。

庶民向けのレシピ集なんてのもあったんですよ。

今日は、そんなレシピ集のひとつ、 「 豆腐百珍 」 という江戸時代に大ベストセラーとなった
豆腐料理だけを集めた本から 「 豆腐の味噌漬け 」 を作ってみたいと思います。

材料は、豆腐と味噌だけ!

素材勝負だと思い、いつもよりチョットいい豆腐を買っちゃいました(笑)

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まずは、豆腐に重しをして水を切ります。

これでもかというくらい水を切ります。

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水を切った豆腐に味噌を塗りたくって

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ラップをして冷蔵庫へ!
たったこれだけ。

三日くらいからが食べ頃だとのことです。

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漬かった豆腐を食べやすい大きさに切って、豆腐の味噌漬けの完成です!

もう少し豆腐に味噌の色が薄っすら染み付くくらい
味噌を塗っても良かったかな。

ちょっとケチっちゃいました(笑)

それでも凝縮された豆腐の旨味に味噌の風味が加わって
シンプルながら、なかなか美味しいです。

乳臭さをとったチーズのようでもありますね。
これに柚子胡椒をちょびっとだけ付けて食べるとまた風味がいいんです。

「 江戸時代の人もコイツを肴にチビチビやっていたんだろうな~。 」
そんなコトに思いを馳せて飲むのもまたオツなものです。

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東伊豆旅行記 唐人お吉

下田は、江戸末期に日本で箱館とともに最初に開港された港で、

ペリーの上陸、吉田松陰の黒船密航未遂、龍馬の脱藩赦免、などなど

歴史的ドラマの生まれた町でもあります。

そんな中、自らの意思とは別に、幕末の動乱の波に呑まれた

斎藤きち という女性をご存知でしょうか?

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唐人お吉 の通りなの方が有名です。

今回はそのお吉さんの生涯をチラッとご紹介・・・

14歳で芸妓となったお吉は、巷でも評判の美貌の持ち主。

その美貌が奉行所の目にとまり、当時下田に赴任していたアメリカの総領事

タウンゼント・ハリスの元に侍妾とし召しだされます。

当時、お吉には婚約者がおり、お吉は即座に断ります。

しかし、幕府の役人は 「吾が一身の恋に生きるか、お国の為の人柱となるか」

と迫り、婚約者に対しては「お吉を諦めれば、侍に取り立ててやる」と誘惑します。

侍に憧れていた婚約者は、あっさりとお吉を捨ててしまいます。

周囲の人も初めこそ、お吉に対して同情的でしたが、

奉公に際しお吉に法外な年俸が支払われているコトを知ると

妬みから、心ない誹謗中傷がお吉に浴びせられます。

「唐人」というあだ名もその蔑みの表れなのです。

しかし、奉公にあがったお吉は献身的にハリスの世話をします。

ハリスが病に臥せった時には、ハリスの所望で、当時、牛乳を飲む習慣のない日本で、

罵声と嘲笑を受けながらも農家に牛の乳を搾らせてくれるように頼んで歩くなど、

異国の地で慣れない生活を送っていたハリスにとって、お吉は心を和ませる存在だったそうです。

そのお陰もあり日米通商も円滑に進み、下田条約、日米修好通商条約と繋がります。

その後、ハリスが米国に帰り、お吉も奉公の任を解かれます。

再び芸妓に戻ったお吉ですが、周囲の冷たい視線は変わらず。

料理屋を始めれば、唐人お吉の店だと知れ渡り、「あそこで飲み食いをすれば手が腐る」

髪結いを始めれば、「髪の毛が抜ける」

などと風評をまき散らされます。

その後、次第に酒に溺れるようになり、果ては物乞いにまで転じ

最期は、下田市内にある栗ヶ淵に身投げをしてしまいました。

しかし、死んでもなお周囲の人は「手が腐る」などと言い、

その遺骸は、三日の間、河川敷に捨て置かれたと言います。

哀れに思った下田宝福寺の住職が境内の片隅に葬り、今もこの地に眠ります。

歴史の端境期に、その生涯を時代に弄ばれて亡くなった、

ひとりの女性のお話でした。

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お吉さん、空の上から欧米化された現代の日本をどのように見てるだろう。(終)

< おまけ >

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宝福寺にある、唐人お吉記念館には、お吉の波乱に満ちた生涯を資料で辿ったり

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お吉の遺品や

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着物が展示されています。

また、少し離れた、お吉がハリスのお世話をしていた玉泉寺には、森永乳業が建立した

牛乳の碑があります。

日本で初めて牛乳の取引を行ったのは、お吉だと言われています。


大阪くらしの今昔館

大阪に着いて、まず僕が行きたかった場所はココ!

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大阪くらしの今昔館です。

この施設は、江戸時代の大阪の町を再現した資料館なんです。

着いて早々ホントに入るの~ とかブーブー 言われたい放題。

DAIさんとデッドさんが一緒だから、こうなるのは目に見えてましたけどね~。

だから、一人で来たかったんだよな~。

グチグチ愚痴愚痴・・・

大先輩二人 「 なんか言った?」
マヤリモ  「いえ、何も!」

デッドさん 「 つまらなかったら罰ゲームね」
マヤリモ  「え~! じゃあ、おぉ~! とかスゲー!とか言ったら俺の勝ちっすよ」

デッドさん 「言わね~よ」

な~んて会話をしながらエスカレーターであがると・・・

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再現された江戸時代の街並みドーン!

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通りがバーン!

デッドさん 「 おぉ~! 」

って、秒殺じゃないですか~(笑)

メチャクチャ感嘆の声漏らしちゃって!

そして、この資料館では、さらに江戸気分を味わえるように、

浴衣を無料で着付けてくれて、見学をするコトができるのです。

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デッドさんの方から誘ってきました(笑)

この勝負、マヤリモの圧勝です!(笑)

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さて、この資料館は、セットの中にも自由に入れるし、小物類も手に取るコトが出来るのです。

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以前に行った、深川の江戸資料館と同じ感じだけど、それよりスケールは大きいですね。

江戸時代の深川と大阪の町の違いを見比べるのも楽しいでしょうね。

今回は、残念ながら、じっくりと見比べる時間はなかったので、またの機会に。

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下の階には、大正時代の大阪の町がジオラマで展示されてました。

・・・これは?

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通天閣?

そうだ! この後、通天閣に行こう!(続)



Back to the Edo ! (究極のエコ社会)

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江戸では、約7割の人々が長屋住まいです。

長屋には、防衛上、木戸があって、明け六つ(午前六時頃)に開いて、暮れ六つに閉まります。

町ぐるみの門限があったんですね。

写真中央には共同井戸があります。 

井戸には、長屋のおかみさん達が炊事や洗濯で集まって、まさしく井戸端会議で賑わったんでしょうね。

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長屋の路地裏にはお稲荷様もまつられています。

お稲荷さんには、狐がつきものですが、あれは、神様の使いでご神体ではないんですって。

そして、お稲荷さんは、無視されるのを非常に嫌う神様だそうで、町なかの賑やかなトコにあるコトが多いんです。

だからお稲荷さんの横を通り過ぎる時には、願い事があってもなくてもお辞儀をしなくちゃいけないんだそうですよ。 面白いですね。

幕末に日本にやってきた西洋人が、鳥居の前を通り過ぎる日本人がお辞儀をする行為を不思議に思っていたそうです。

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お稲荷さんと犬は、江戸の町には多くて、「 伊勢屋、稲荷に犬の糞 」なんて言われてました。
ちなみに伊勢屋は、お店の屋号です。

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さて、長屋にあるこの小屋はなんでしょう?

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手前の木箱は、ごみ箱です。江戸時代初期から中期にかけては、江戸市中で集められたゴミは、永代島に送られ、その後、江戸湾を埋め立てる際にはそのゴミが使われていたそうです。

でも江戸時代はリサイクルが徹底されていてあまりゴミは出なかったようです。

そのお隣の小屋は・・・

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長屋の共同便所でした。 汲み取り式の便所で、溜まった糞尿を買い取る業者がいて、その糞尿は、農家で肥やしとして利用されます。

リサイクル社会の江戸でも究極のエコですね~。

面白いのがその価格。 大名屋敷、商家、長屋の順に買い取り価格が下がっていきますが、それは何故か?

栄養価の高い食べ物を食べていれば、出てくるものもイイもの・・・というコトです(笑)。

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長屋の間取りは四畳半~六畳が一般的。 

長屋の壁は薄くて隣の物音はモチロン、おかずの匂いまで筒抜けだったんですって(笑)

そんな江戸の長屋暮らしには、3つのルールがあって、

1.初対面の人には出身地や生国を聞かない
2.年齢を聞かない
3.家族を聞かない

「そんなことは近所づきあいをするうちに自然とわかってくる」という考えがあったようですね。

プライバシーがあるような、ないような。 

現代では、とても受け入れられたもんじゃない生活に感じますけど、つい最近までは、東京でも当たり前の生活だったんですよね~。

狭いながらも、隣人とのつかず離れずの絶妙な関係が形成されていたんでしょうね。
きっと現代人よりもコミュニケーション能力は高かったはず。

さて、今回は、ザーッと江戸の深川の町を3級レベルの知識でご案内しましたが、もっと江戸について勉強をして、もうチョット詳しいご案内が出来たらなと思います。

それでは、現代に戻りま~す! (終)



Back to the Edo !  江戸の足とファーストフード

さて、表通りを歩いて行くと、油堀と呼ばれる運河に突き当ります。

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油堀は、現在は埋め立てられて、現在はその上を高速道路が通っているようです。

堀に面しては、船宿が2軒立ち並んでいますね。

各船宿は、何艘かの猪牙船(ちょきぶね)を持っていて、人や荷物を運搬しており、飲食や宴会をさせていたようですね。

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ちなみに猪牙船とはこの船のコトで、船の先が、猪の牙に似ているからとか、長吉という人が考案した船で、なまってチョキ船となって猪牙の字があてられた、とも言われています。

水の都江戸では、早く移動ができ、ハイヤー的存在だったとか。

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さて、2軒並ぶ船宿の内、相模屋さんという船宿さんに入ってみましょう。

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とっても落ち着く船宿で、熱燗でもやりたくなっちゃいましたね~。
茶箪笥なんかもとても、渋い!

さて、チョット休憩をしたあと、堀沿いに歩くと、火の見櫓のたもとには・・・

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天麩羅の床店があります。 床店とは、商品を売るだけでお店の人の居住スペースはついていません。
屋台のようにお手軽に、とはいかないまでも、規制がかかったりした時には、バラして移動します。

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当時の天麩羅は、串に刺した魚介類に下味をつけて揚げたものです。
中には、コハダのような光り物まで揚げてますね。

この時代の江戸では立ったまま食べるファーストフードだったようです。

その近くには、蕎麦屋さんもあったり、

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水茶屋があったりします。水茶屋とは、お茶の葉を売る葉茶屋に対しすぐに飲めるお茶を売る処です。

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江戸時代、水茶屋では、若い看板娘を置いて人気を博していました。

この浮世絵は江戸の三美人ともてはやされた谷中の茶屋の看板娘、笠森お仙です。

お仙さんについてのお話は、また別の機会に。

深川のこの茶屋には、どんな看板娘がいて、江戸っ子たちは、お茶を飲みながらどんな話をしてたのかなぁ。

そんなコトを想像しつつ、次は、庶民の生活の場、長屋へ行ってみたいと思います。(続)


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プロフィール

マヤリモ

Author:マヤリモ
大田区蒲田在住の37歳(男性)
職業は作業療法士(OT)
家族は高校時代からの縁で結婚した妻 しーちゃん と昨年9月に生まれた娘の はな。
いろんなコトに興味を示してしまうのが長所でもあり短所。結果浅く広い趣味が・・・。日々の出来事も交え綴って行きたいと思います。

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