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44番目 人柱伝説のある大分城

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九州旅、そして、九州城巡りの最後の城。

大分県の大分城!

「大分城」と言われるだけあって、大分駅から1キロくらいの市街地にあります。

復元された城門などがあり、本丸内は城跡公園となっています。

歴代城主には、竹中半兵衛の親戚の竹中重利など。

また、大分川の河口近くに築城されたため、地盤が悪く工事が難航したので、
人柱伝説なども残っている城なんです。

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そして、こちらは、「人質櫓」

なんだか、物騒なネーミングですが、その名の通り、当時は
人質を住まわせていたんだとか。

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天守台跡。
ここには、四層の天主が鎮座していたようです。

さぁ、この大分城で、今回の九州城巡りは、完結!

九州地方で残っている百名城はあと3つ!
今度は、九州に来るのはいつかな~。


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あの歌の舞台・・・ 43番目 岡城

熊本で一泊して、今日は、九州を横断。

大分駅を目指します!

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途中、百名城のひとつ。

「 岡城 」 にやってきました。

岡城、またの名を 「 竹田城 」。

竹田城といえば、ちょっと前に流行って入城規制までかかった
「 天空の城 」 で知られる、兵庫県の竹田城が有名ですが、
こちらの竹田城も、けっこう有名なんですよ。

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城自体は、天守やその他、櫓など、復元物はなく、

そこには、ひっそりと年月を過ごしてきたかのような石垣が。

哀愁ただ酔わせる荒城の趣です・・・

ん??荒城、荒城・・・荒城と言えば!?

♪春~高楼の~月の宴~♪

そう!滝廉太郎の 『 荒城の月 』 !

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実はこの城、 『 荒城の月 』 の舞台となった城として有名なんです。

滝廉太郎が幼少の頃、よくこの城址を遊び場にしていたとのコトです。

僕が訪れた時は昼間で、さすがに月は見られませんでしたが、
晩秋の紅葉に染まる荒城、とても趣のある光景でした。

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しかも、他の観光客とすれ違うコトなく、ゆっくりと見学できました。
なので、おススメは、平日の昼下がり!

ちなみに妻子は、あそこに停めてある 「赤いプリウス 」 の中で熟睡中です(笑)

さぁ、そろそろ下山して、大分駅を目指そう!


< おまけ >

入城料金を払うお城は多々あります。
大概のお城では、単にチケットの半券を貰うだけなのですが、

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こちらの岡城では、こんな巻物を貰うことが出来ます。

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巻物の内容は、城の歴史や案内図となっています。
なかなかしっかりした作りで、登城の良い思い出の品となりました!



42番目 傷だらけの勇姿 熊本城

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マヤリモ一家が熊本城を訪れたのは、熊本地震のあった2016年。

遠目に見ると確かに天守の屋根がゆがんでいるけど、それほど大きな損害には感じませんでした。

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でも、徐々に近づくうちに、被害を目の当たりにすることに。

瓦が落ちていたり・・・

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なにより衝撃だったのが、櫓の土台となる石垣の崩れよう・・・。

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数えられるほどの石で、一角を支えている姿は、「ガンバレ!」と思わず応援したくなるほど。

改めて、地震の激しさを思い知らされました。

でも、逆に考えると、これだけの大地震で櫓が崩壊しないで済んでいる。
熊本城を築城した加藤清正の持っていた高い技術と知識に感服。
もしかしたら、奇跡的と思われるこの数個の石垣も計算されていたのかもしれないですね。

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僕らが訪れた時には、崩落の危険もあり、それこそ清正の高い築城技術の象徴である
「武者返しの石垣」も見ることが出来ませんでした。

それでも、震災まもない熊本城は、傷だらけながら威風堂々とした勇姿で、
見る人に復興に立ち向かう勇気と推進力を与えてくれているように思えました。

そして、あれから4年近くたった今。

2019年10月からは、大天守の特別公開もありましたが、
今度は、新型コロナの影響で公開は中止。

一難去って、また一難・・・。

完全復活を遂げた熊本城をはやく見たいですね。

ガンバレ!熊本城!



この城を建てたがために・・・ 41番目 島原城

平成28年12月4日登城録。

長崎からフェリーで熊本に渡る前に立ち寄った島原城。

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島原と言えば、島原の乱。

小学校の教科書でも習ったな~。

島原の乱とは、江戸時代初期、過酷な年貢の負担やキリスト教弾圧に苦しんだ
農民が起こした、日本の歴史上最大の規模の一揆。

この島原城は、松倉重政が7年の歳月をかけて築城。

5重の天守に49基の隅櫓、4万石の小大名のわりにデッカイ城!

身の丈に合わない城を建てちゃったもんだから、領民に重い税をかした。
ついでにキリシタンの弾圧もしちゃって、乱が起きちゃった。

そう、まさにこの城は、島原の乱の引き金となった城なんです。

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一揆軍の総大将は、奇跡の美少年・天草四郎。

生まれついてのカリスマ性を持ち合わせた彼には、多くの逸話があって、
有名なところでは・・・

『四郎の腕にとまったハトに四郎が手の平をかざすと、ハトはすぐに卵を産み
割れた卵の中から、キリストの画像と巻物の聖書が出てきた』というもの・・・

スゴイね。

これは、マギー司郎も敵わんぞ(笑)

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でも、この容姿なら、出来そうな気がする(笑)

ちなみにこの肖像画が、よく教科書で見かける四郎ですが、

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こんな勇ましい肖像画も。

一揆の緊迫した様子、四郎の気迫が伝わってきます。

四郎をはじめ、一揆軍37000人は奮闘し、島原藩だけでは手に負えず、
ついには、幕府軍も引きずり出します。その数合わせて、10数万の大軍。

しかし、一揆軍の奮戦むなしく、総大将の四郎が討たれ、乱参加者は根絶やしに。
乱の後は、藩主の悪政が明らかになり、二代目松倉勝家は、改易の罪で、
大名としては、異例の斬首!

この乱をきっかけに幕府は、キリスト教が人々の生活に入り込まないよう、
仏教寺院に人々を登録する宗門改役を設置。

そして、ポルトガル船の入港を禁止し、鎖国を始めたんです。

はい、ここ、テストに出ま~す!

な~んて、マヤリモによる、天草四郎と島原の乱、サクッと講義でした!

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さて、肝心の城、城。

城のすぐ下までやってきましたよ。

顔出しパネルにノリノリのはなでしたが、
この後、城内に入ろうとしたら、急に嫌がり、結局スタンプだけ押して退散(笑)

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それでも、お城にいた武将さんたちから、折り紙の手裏剣を貰って、
ご満悦のはなでした(笑)


40番目  タヌキのいる平戸城

2016年12月

長崎のホテルで一泊した後、朝早く起きて、佐世保にあるハウステンボスに!

の、前に城巡り~。

3年半前になるのか~。

はなもまだチッコイな~。

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ハウステンボスとは、逆方向の平戸市の平戸城へ!!

平戸は、南蛮文化ふるさとの一つと言われ、鎖国前は中国やポルトガル、オランダなどとの
国際貿易港だったそうです。

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天守は復興天守で、見るからに最近建てられた感が漂います(笑)

築城者は、水軍で名をはせた松浦氏。

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豊臣秀吉の朝鮮出兵にも水軍として出陣しています。

きっとこの港から船を出したんでしょうね。

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城内を散策していると、面白い名前の櫓(やぐら)を見つけました。

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「 たぬきやぐら 」

その昔、この櫓の床下にタヌキが住んでいたそうな。

あるとき、床板を全部はがし櫓の修理をしようとしたところ、

居場所がなくなってしまうタヌキが小姓に化け松浦藩主の寝床にやってきた。

そして、「 私たち一族を櫓に住ませてください。そうしていただければ、
私たち一族は、代々この城を守ります。」 と懇願したと。

松浦藩主が床を元に戻したところ、タヌキがずっと住み着いたんじゃと。

めでたし。めでたし。

でも、タヌキがどうやって城を守ってくれるんだろうね(笑)

僕が、訪れた時には、タヌキはいなかったけど。

そんな伝説が残る、タヌキが住んでいるであろう平戸城でした。


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プロフィール

マヤリモ

Author:マヤリモ
大田区蒲田在住の40代男性。
職業は作業療法士(OT)
家族は高校時代からの縁で結婚した妻 しーちゃん と娘の はな。
いろんなコトに興味を示してしまうのが長所でもあり短所。結果浅く広い趣味が・・・。日々の出来事も交え綴って行きたいと思います。

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